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ケンペル「日本誌」より
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異邦人の見た日本
タイムマシンがあったらなら、と考える事がある。手軽なカメラ一台ぶらさげて平安時代の都やら戦国時代の関ヶ原やら歩けたら面白いだろうな、と。まあ、みんな同じような事を考えるわけで、太秦の映画村とか流行るわけだ。写真が日本の歴史に登場するのは幕末だが、撮影に時間がかかったり、動くもの、暗い場所では撮れなかったりして実用的ではなかった。また、「撮るに値しない」と考えられる対象は残されていない。いわゆるスナップ写真的な日常茶飯を伝える物ではない。
そこで、銅版画だ。一番うえは1690年代に長崎に滞在したドイツの医師ケンペルの著書「日本誌」の挿絵だが、ケンペルの語った言葉をもとに「日本に来たことのない画家」が描いた「想像上での日本」の姿である。舟の形も変だし、駕籠の形も変だ。背景には椰子の木まで描かれている。
時代がさがって1950年代になると、ペリー提督が日本を訪れた時の報告書に添付された物がある。これは政府に対する報告書なので正確に描かれている。画家が同行し、現場でスケッチしてあとからまとめたのだろう。場合によっては参考資料として写真を撮っていたかも知れない。時代的にはカロタイプとかダゲレオタイプの時代であって、「動かない戸外の被写体」であれば撮影は可能だった。アメリカではティンタイプといってブリキ板に画像を定着させる方式がポピュラーだったのだが、これは発明が1853年なのでペリーの来日には間に合わなかっただろう。いずれにせよ露光時間が数分間必要なのでスナップは撮れない。
それに、報告書という「印刷物」に写真は使えない。まだ銅版画を添付するという手法が主流だった。手法としては、通常の版ではなく、銅版にメッキを施して耐久性を高めていると思われる。また、カラーの石版画も多い。
ここでは、ペリー提督が下田で見た街並みや造船所、人々の暮らしなどが精密に描かれている。なんせアメリカという国が国家プロジェクトとして日本に開国を迫った時の報告書なので、画家の腕も良いし、正確に描かれている。この時代にカメラを一台ぶらさげて行けたら、という願いが体現されている。遊ぶ子供、じゃれつく犬、働く人、散策する水兵などが丁寧に描かれている。
アシェット社というのはフランスを代表する大出版社で、日本では婦人画報社を買収して今でも出版活動を続けている。「絵で見る日本」LE JAPON ILLUSTREの出版は1870年頃らしいが、取材はペリー来航の数年後、1850年代らしい。こちらは観光案内的な絵柄が多く、基本的にはリアリズムだが、中には想像で描かれたらしき絵もある。
これらは、たまたまコレクターが放出した物をまとめて安く入手したもので、決して長年かかって苦労して集めたわけではないのだが、それでもまあ、貴重な資料であることに変わりはない。運が良かったと言うべきなのだろう。
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
アシェット社「絵で見る日本」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
アシェット社「絵で見る日本」より
アシェット社「絵で見る日本」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
ペリー提督「日本遠征記」より
アシェット社「絵で見る日本」より
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ペリー提督「日本遠征記」より
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